復活祭とパーティー                         2017.09.12

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復活の主日「復活の聖なる徹夜祭」
、4月15日(土)19時半からミサが行われ、
日本語、英語、スペイン語、ベトナム語で聖書朗読がされ、国際色豊かミサ
となりました。
洗礼式では3名の男性が受洗され、堅信を受けました。

神父様の説教から、・・・
 「昨日のバチカンでの説教は教皇様ではなく、カプチン会の神父様が説教
された。その神父様は『十字架だけが唯一の希望である。十字架は世の中の
ダメなものに対してたたくための十字架でなく、犠牲になっている人の為の
十字架である』と言っていた。世を苦しめている、その者をたたくのではなく、
どん底に落ちている人の為に十字架は立っている。
罪人をゆるさないということはあり得ない。罪人はいつでもゆるされる。
だから、刑務所にいる人がゆるされて、教皇様は彼らの足を洗った。
しかし神様は罪自体についてはゆるさない。

 イエス様が亡くなって息を引き取った瞬間、聖書の中では、神殿の幕が
真っ二つにやぶれて落ちた。これは今までのことは終わったことを意味し、
そして息を引き取った瞬間にイエス様は復活した。それは昨日の十字架の
あの祭儀の中でイエス様は亡くなったときに私たちの過去は終わり、今から
新しくなることを意味していると思う。」

復活の主日、4月16日(日)普段のミサでは見かけられない信徒の方々も多く
見かけました。
今日も国際色豊かなミサで、聖書の第1朗読は英語で第2朗読はベトナム語で
読まれ、共同祈願は日本語の他に、英語、スペイン語、ポルトガル語、
ベトナム語で祈られました。

神父様の説教から、・・・
「『ご復活おめでとうございます』と言うと『ありがとうございます』と
答える人がいる。イエス様が復活したからイエス様おめでとうございます
と言っているのか、神様の計画通りにできたからおめでとうございますと
言っているのか?どちらも違うような気がする。新しい服に着替えたから
お互いにおめでとうございますと言っているような気がする。
新しい服に変わっても中身が同じでは意味がない。私たちの信仰の中心は
イエス様です。イエス様に従う事の大切さを考えるとイエス様の中に3つ
の職があり、祭司職、王職、預言職です。

祭司職:イエス様のように祈る人になる。大勢の人が集まっている教会は
イエス様と共に祈る共同体である。祈る共同体として昨日と今日はどう違うか?
復活されたイエス様に従う我々は違わなければならない。

 決まった祈りではなく自分の言葉で祈る事も大切だと思う。フィリピン
の人達は上手に祈っている。日本人やべトナム人は自由な祈りが苦手な
ようです。そういうことも変えていかないといけない。ミサは祈りの場
ですので遅れないようにすることも大切。小さい子供が泣いたり騒いだり
したとき皆で知恵を絞りその子に対応し皆で子供を育てることも大切。
カンボジアの仏教センター(僧侶は殺されてしまったのでいない)に
行った時『将来の寺の役割は何ですか?』と聞いたら『人を育てる所です』
と言っていた。カトリック教会も将来の為に人を育てなければならない。
昨日と今日は変わっていかなければならない。

王職:私たちも人に仕える人にならなくてはならない。物事の便利さや
自分の都合ではなく人の為に文句を言うのではなく自らが働くことが大切。

預言職:どう考えてもおかしい変な事に対して勇気をもって声を上げる。
イエス様がここにおられたら、これはおかしいということでも黙っている
ことが、キリストに従っていることなのか考えなければいけない。」